奇天烈電機

猫とPCと農業つれづれ、(MS-)DOSネタ、稀に初級Linux。大半は日記。

デジタル一眼レフ。

カメラの話をしましたね。

 

ええ。

で、動作確認とレンズの感じがどうしても早く知りたかったので、今朝早く隣町まで行って道中と駅周辺で適当に写真を撮って来ました。

何でもない写真ですよ。

適当な写真です。目的は36枚撮ることでしたから。フィルムはコダックGold 200、カメラはNikon EM、レンズはとても古いトキナーの35-105です。

 

とても作例を載せようという気分になれんのではあるが、まあ、一枚。

 

・・・その後家に戻って、足早に市内のカメラのキタムラまで行きます。

 

ドキドキしますよね。

なんせ20年ぶりのフィルム復帰だし、カメラの故障があるかないか。

 

「ちゃんと写ってますね」

 

雪よけフェンス

 

おじさんホッとしたよ。

構図などの腕前はともかく、f値やらSS、AEも全く問題なく動作していました。

 

で、今から今回のタイトルとなったデジイチというものに関して語ります。

 

個人的にですね、デジタル一眼レフというものを使った事が3回しかありません。全部αでした。7 digitalとSweet digital、あと、なんていう名前だったかな、α57でしたかね。

 

コニミノが特別好きだったわけではなく、以前α9000を使った時のレンズがあったからです。なのであんな最初期の代物を使ったし、57に関しては何かの時に興味で手を出した。すぐ売ってしまうんだけど。

 

思うところがあったのはあったのです。

手元にスマホがある。

そんなにもう写真に対する情熱が無くなってしまっていたし、コニミノ製のαのせいでもある。

 

「あんなものオモチャです」

 

そもそも直ぐに壊れたしね。両方。

いわゆるブルブル病ですが。で?、そんな頃になるとケンコーだったかな?、修理を引き継いでましたが、アホくさい修理費用。

写りもクソでした。僕は下手だけど、こんなゴミ写真しか撮れない機械を「一眼レフ」というのか?、というくらい気に入らなかった。

大体その場である程度確認出来て、ストレージに余裕があればほぼ無限に撮影出来る。

 

緊張感がまるで足りないんですよ。

ワンショットに対する熱の入り方が一気に陳腐化してしまった。

そのくせ家に帰ってモニタに写してみると、ホントに見事なほどクズばかり。コニミノはどっちもそうでしたね。

 

情熱冷却機能付き一眼レフ型カメラ、とでも言うか。共産圏のもののように簡単に壊れるし。

57でSONYになって、堅牢さは増したのかもしれませんけど、情熱冷却機能は引き続き満載でしたね。

余計便利に(改悪)になっていて、写真を写す気が全く失せます。

何を撮ってもキレイに写る「だけ」で面白みも何も無い。むしろ、

 

「あのときやっぱりちょっと待っていればよかったなあ」

とか

「あのときもうちょっと絞っとけばよかったなあ」

 

などがまるで無い。

そうなると人間は丁寧に撮らなくなります。何十枚か撮って、或いは何百枚か撮ってその中から比較的マシなものを選ぶ作業をする様になるのです。

 

ならこんなレンズ付き情熱冷却機なんていらねえよ。

iPhoneでいいよ。

だって記録してるだけだし。そうで無くても目で見た景色でなくて、補正のかかった画像が大量に発生する訳だし。

 

だからカメラを完全にやめちゃったしね。

それでこんな年になって出戻って来た訳ですけど。

 

36枚を急ぎ足で撮るにしても考えましたよ。少なくともたった36枚の写真を撮り切るまで3日を要した。

 

で、その場その場でどうだったかな、これでいいのかな?、など考えながら慎重にシャッター切りますからね。

入ってるのは感度200のフィルムであって、無闇矢鱈に上下したりしませんし。オートなのはAEのみ。フォーカスもズームも自分でやって、まあ、これはやれば今のカメラでもやるんでしょうけど、「どれどれ?」は無いんですよ。

あと何枚だ?、今のは不安だからf値を変えて同じ構図でもう一枚いっとくか?、勿体ないか。

そんなこっちのソワソワした楽しみや緊張感が多分に溢れて来るわけです。

 

脳が破裂しそうなほどの刺激になります。

 

それがデジイチにはぜーんぜん無い!

はい、構図決める、深度大体決める、撮る。

後で色とかは弄ればok。

 

そんなの写真撮る楽しみある?

 

正直に言ってフィルムカメラでは無い高機能なカメラなんて修理期限ありの電気オモチャです。高い安い関係なく。

そんな物に投資するのはバカバカしい。

何十万と出してやれセット組んで買うよりは、最初にちょっとだけ出して脳汁溢れさせながらフィルムと現像にお金かけた方が余程いいです。

 

僕ならね。

 

世の中には金属カメラウイルスに取り憑かれてるただのコレクターとかもいますけど、カメラって何でしょうか?

 

写真を撮るものです。

いいんですよ、写ればいいなら何でもいいなら。

デジイチだってめちゃくちゃキレイにかなり思い通りになる写ルンですと同じだと僕なら言いますけどね。

 

数え上げるほどレンズが必要なわけでもなし。

広角と中望遠一本ずつ、それで運用するフィルムで撮る一眼レフこそ一眼レフカメラであろう。

 

習字にせよ絵を描くにせよ、失敗したらもう一枚描くでしょ?

その場で無限回数やり直せないじゃないですか。レーシングカー撮る日常でもなければ。

 

否定しながら否定しませんとは言いませんが、実に文化とか芸術的には腐ったと思いますよ。

昨今の写真事情は。

iPhoneカメラでさえ僕はあんまりバサバサ撮ることはしないです。多分性分だろうな。

 

射手は仕留める為に腕を磨くのです。

 

そんな世界ではありませんでしたっけ?

何でこうなったよ。

壊れたら壊れっぱなしで直せなくなるしね。昔は街のカメラ屋さんは簡単な修理なら余裕でしたよ?、機械式カメラにおいては。

どう?、今。

 

メーカー送り→サポート終わってます→返却→ジャンク、という安くない機械の顛末です。

 

EMなんて45年前の機械ですけど、何度でも復活するさ、と言えます。

後はフジなりコダックなりがフィルムを作ってくれてたらこの素晴らしい緊張感を味わう事が出来続けるわけです。

 

凄い機械なんかもしれません。技術の塊なんかもしれん。認めよう。

 

だが無価値だ。

 

そんな風に、僕は他に感じ方が分かりませんがね。

回帰(安かったから。)

あれ程Ubuntu生活に満足していたのに、それを一晩でやめてしまった。

 

と、言うよりPCを使わない(ほぼ)生活をしようとしてます。

1日5時間PCを仕事以外に使うのは「依存症」だそうです。

僕の場合、意味のないGoogleトップと更新されるニュースを往復する、果てしなく意味のない5時間に成り下がっていたので。

ゲーム?、いつからやってない?、入れてから一回でもプレイしたゲームの方が遥かに少ない。何なら買ったばかりだったステラリスも初期状態から何も進んでいない。

 

iPhone花札入ってるんです。

倉庫番と。

 

それすらやらない。

自覚があんまり無いだけで、実はかなり昔にゲームに心の底から飽きている様な。

気がします。

 

そしたらカスタマイズし切ったUbuntuも単なるPCになってしまった。何か無料のものとか落としたり、あれ程好きだったPortal系のMODにしたって、YouTubeで見るだけになって、自分じゃやらない。

クリア動画とか、映画と同じ感覚になった。

 

逆に何が出来たらいいのか?

ブラウジング、写真の整理。メールの確認。サブスク動画の視聴。NHKプラス。それから、ラジオと印刷。

 

そこまで計算して、文言考えて、売りに出して売れるまで10時間くらいだったな。

全く無いのは困るので、激安のMacを買った。

 

Mac

 

そう、2012年のMac mini

それにSequoia入れました。

環境は今日作った。環境って、インストールとブラウザの同期とシステムの最適化、だけ。

 

なんかちょっと惜しい様な気持ちにならなくも無いのかな?、と思ってたけど、早く発送してフリマの通知バッジ消したい、としか思わない。

 

試しに使ってみてますけど、上に書いた出来ないと困る事は全部できる。

ああ、ゲームしなくてセキュリティ万全で、OSが新しければなんでもいいんだな。

 

カメラ活動再開するし、春からは外で働く訳だし。

 

なんかもう俺じゃねえみたいになってきた。

カメラの話。

若い時、と言っても18歳から25歳前後まで、カメラが好きでした。

 

最初は、留学するという事で、家にあったミノルタのα7000と35-70(だったかな?)を一本だけ、持って行って、そこにいる間使っていました。直ぐに帰ってくる事になるんだけど、カメラにはハマってしまったんですよね。

 

帰ってきてからも暫くはα7000でいろんなものを撮って、遊んでいました。

 

何だか写真屋さんに色々アドバイスをもらったりして、偶然α9000を手に入れたのでした。

 

この頃のAFは大した精度ではなかったし(無論僕がα9000を手にした時は既にもっと新しいシリーズが展開されていた)使いこなせてなかったと思います。

でも、その場その時にある人に勧められて、ある人の事務所に何枚か写真を置いてみないか?、みたいな話があったんだな。

 

若いということは馬鹿ですから、調子に乗って置かせてもらった。今思えばカメラの性能に任せて撮っただけの愚かな写真を。

そうこうしていると、そこから何故か話がほんの少しだけ広がって、ラーメン屋の大将が「店に飾りたい」なんて話が出てきたのです。

 

少なくとも2年くらいの間飾ってあったらしいですね。今もそのラーメン屋あるけれど。

流石にもう無いと思うけど、写真は。

 

その後は、何でだかマミヤ6触ったり、F3を貸してもらったり、で、結局は自分で最初に買ったカメラってNikon EMだったんです。

単焦点の50一発。ほぼこれで3年使いました。お散歩カメラなんだけど、色々と言われようがあったけど、使い良かった。

簡単だったし、フットワークが良かった。その後は…他の事に意識が行きはじめて、行方不明になりました。手放したのか、どうだった?、覚えてないや。

 

そろそろ脱フィルムカメラの時が来ていたから、無理してαSweet digitalタムロンの28-105だったと思う、それを買った。

これがよくなかった。何が撮れるのか、何が撮れたのか直ぐ確認できるのだから無限にやり直しができる。当然AFだからやる事が全然無い。もう、フレーム決めるだけ。

あの時、デジ一はゴミだと思いはじめました。

 

その後、下落してたのもあったし、余計な経験をしてバカバカしくなった気持ちが合わさって、α7(ミノルタだよ)を買いました。

 

なんか違う。

 

簡単だけど、いい写真撮れるけど「面白くない」「緊張感が無い」「飽きたのかな?」悶々としてる間に完全に興味がPCに移って、その後はスマホのカメラで記録だけを続ける日々。

 

もうカメラで楽しかった頃のことなんてすっかり忘れていました。

 

本日2024年12月1日から、鳥取県勤労者美術展という展覧会が始まっています。カミさんの描いた作品が審査を通過して、飾られる事になったので我々は早速二人で見に行った。

〜賞、みたいなのはもらえませんでしたけど、確かに選考を通過してそこにカミさんの絵が飾られているじゃないですか。

感動しますよね、公式な美術展に作品が展示されるなんて。

 

洋画、日本画、写真、書と別れていて、そんなに意識してなかったんだけど写真の壁の前で、足が止まった。概ねはデジ一で撮ってるな、っていうのは分かるし、普通に上手いなあとか何が面白いんだ?、みたいな色々な作品があったんですが、一点だけ。

 

どう見てもハーフカメラで撮られた物が展示してあった。いや、最近の加工技術は著しく進化しているからハーフ写真に見えるだけでハーフカメラでは無いかもな…などと思いもしましたが、やはりハーフ写真に見えるし、その作品がまた、良かった。

フィルムは何だろう?、トライXかな?やはり手焼きかな?、などと色々長い間死んでいた何か、それが動きはじめてしまった。

 

帰りすがら、車で2時間くらいの場所だったのでカミさんの感じた場の空気の話や次の作品はもっと大きく描きたい、という様な話をしながら家に着いた。

カミさんが、「来年は一緒に出さない?、あなた写真撮ったらいいのに」なんて。

 

もう道具がない。情熱の芽みたいなのが腹の底から見える様な見えない様な。

 

どーしましょうかねー。

 

今更「なんだって撮れるぜ!」みたいなカメラを買ったって「作品」にはならない。皆んながやってることだから。

じゃあ適当に程度の良いペンでも買って遊び半分エモってみるか?、という目線にもならない。

 

フルマニュアルは敷居が高いし、そんなに元々ガッツリカメラ野郎でもない。

あんまり重篤な気持ちで無く、フリマアプリを開いて、今EMっていくらくらいで買えるんだろうか?、と検索したりしてました。

 

そんなにしないな。

整備済みでもそんなにしないのか。

そんなにフィルムカメラって廃れてしまったのか。僕の中ではデジタルとフィルムって、トマトとりんごくらい違うものだと思ってたから、こんなに置き換わりが同時に素早く進んでいるとは。

 

そう思ってたら確かもう何年も前にナチュラ1600が廃盤になって、どうすんのよ?、みたいな気持ちになった事はありました。

正直、フィルムに関してはコダック以外はゴミだと思っていた人だし、思ってる。

最近のあえて儚く見せよう系のフィルムはオモチャだし。作例とかたんまぁ〜に見てたけど。

もはやプロじゃない人が使うロモだの聞いたことも無い様なたっかいフィルムはみんなフィルムの力で「そういう雰囲気」に写ってるだけで、なんならスマホのアプリで十分ではないかと思ってましたし、思ってます。

それも一つのジャンルだろうから否定もしない。映えたいんでしょ?

 

で、EMを買う事にした。Fマウントに限らず交換レンズもどこかで売り飛ばしてしまってるので、なんか本体と一緒になってる28はまあ、使うだろうけど中望遠が無いと不便かなあ、などと思いました。

EMだから、モーターの入った様なレンズは必要ない。むしろ今で言うオールドレンズがここ一番必要。

夢中になってた頃は断然玉によって選んだりもしてましたけど、もう今や自分の腕前で玉を選ぶなんて暴挙には出ませんし、可変距離のみで検索です。

手動のFマウント中望遠レンズは、っと、トキナーの35-105が3500円程度、いや4000円か。

 

これ、いわゆるEMならではのレンズにカメラがくっついてる構図になるけど、一度は慣れた機械だし、もう数字だけで選ぶくらいにしか覚えもない。

 

合計2万円以下。AEはあるけど、他はマニュアルなんで、これくらいじゃないと「自分の撮った写真」にならんだろう。

ペンのee3もついでにゲット。これは遊びです。これで遊ばない程上手くなりたいけど。

 

さて、そしたらいよいよフィルムだ。

キタムラしかないからキタムラに行けばいいんでしょうけど、取り敢えずAmazonで2本。コダックGold200と、なんだこれ、マリックス800T?、中身はコダックのシネフィルム???

 

ナチュラ1600が滅んだ今、感度1600のフィルムは存在しない。そもそもシャッタースピードが最大1000分の1がマックスのEMでは面白味のない写真しか撮れまい。

何だか極端に安くて不安だなあ、思いつつGoldとマリックス800Tを試験的にオーダー。

TってタングステンのTだろうよ、などとちょっと不安になるも、ポートラ800は高杉。

400使うなら800の広さで何とかする人なんで、先ずは400飛ばして800で勘を戻そうか、作戦。

 

ゴダック以上のフィルムを知らないのも素人の証なんだけど…

Goldの400って、むかしはあったような。

 

ここでこんなん書いててもしゃあなしな話ですが、来年、カミさんと二人で出展出来たらホントにいいんですけどね。

分かんないです。EMメインでは行く事になるだろうけど、ee3で偶発的に面白い写真が撮れる可能性だってゼロじゃない。限りなくゼロに近いけど。

好みの写真と見てほしい写真は分けて考えるべきですから。

 

その内ここにも上がるでしょう。

でも、こんなに廃盤!廃盤!になっててもGold200の現在は決心の素になったし、マリックスやらポートラ800もあるにはある、から、丁寧に再開してみましょうかね。

 

意味のない写真は撮らない、と。早く現像したいから部屋の中とか適当な風景は撮らない、と。ゆっくり確かにここぞと言う時に、シャッターは切るもんだ。

 

ぱこん、と。

夫婦。

12月になりました。

 

現在の外気温は表示では4℃。

 

二年ほど前から、意識して「友人断捨離」を敢行して来ました。意識して無駄な交友関係や自分にとって悪影響を及ぼすであろう友人との連絡を絶ってきました。

結果、先日11月30日をもって、友人がゼロになりました。殆どは一方的に連絡される側としてブロックを繰り返したのですが、大半は自然消滅です。

そもそも、友人の定義の話からしなければなりません。僕の中で友人とは気兼ねなく損得なしに無償で付き合える関係であり、尚且つ何らかの時間を共有する事が楽しい、という意識でいました。

学生時代、色んな事を一緒にやって楽しかった彼ら。

20年以上繋がってはいたものの、固定の話題でしか会話しなかった彼ら。

色んなケースがあると思うし、ありました。

 

そもそもそんなに友人は多く無かったのです。頭の中で数えて7、8人。

最初に連絡を絶ったのは、多分一番長い付き合いになるんじゃないだろうか?、と思っていた人間でした。交友関係を終わらせた理由は僕の妻の年齢について性的な発言があった事です。僕たち夫婦は11歳の歳の差があります。僕は1980年生まれです。友人ですからね、20年以上も関係があった。互いの話もそれなりに深くして来ました。しかし彼は「想像するのが気持ち悪い」と言った。

その日からもう3年くらい経ちますが一切連絡しなくなりました。あなたはどうですか?、もし自分のカミさんの年齢のことで自分達の夫婦関係が気持ち悪い、と言われたら。

 

次。

まとめて3人。というか、この下は全て同じ理由です。あるテストを行います。例えば、こちらから連絡を取らなかった場合、向こうから連絡はあるのか?

ありましたよ、条件付きで。比較的PCが好きだったりするので周囲の中ではその分野に明るい方だったでしょう。彼らは「分からない」時だけ連絡して来ました。或いはこちらか連絡しなければ一切、連絡がありませんでした。

そのままブロックです。

1人、1人と同じ理由でブロックです。

ひょっとするとそんな感じなのでブロックされた事にすら気付いてないかもしれませんね。

そして30年前に友人だった人間と再会しましたが、わずか二ヶ月で断絶しました。

彼に対してもやはりPCに関する助言とあるものを譲った、直後です。

それまではある程度会話があったものの、物品を渡した途端に「俺、文字で話すの苦手なんだわ」的なメッセージが届き、以来一向に連絡はありませんでした。

そして、最後の1人ですが、カミさんは彼を心配していました。心にもかけていました。同様に自分も信頼していました。

気になっていた点は、こちらから連絡しなければ何も言ってこない、たずねなければたずねても来ない。暇な時一緒に食事をしましたが、仕事を始めてから3人で食事しよう、と誘って3回、全て断られました。

女性としては3回断られたらアウトだと言う気持ちはよく分かります。

 

書いてて思ってるんですが、僕は好かれてはいないのでしょう。必要なのは僕の知識やスキルであって、友人としてではない。

よって、最後の1人を放置する事にしました。さて、果たして彼は連絡をよこすのか?、それとも他の人間と同様なのか。

 

そして、全ての人間に共通する事ですが、この世に汚染されていると感じたから自分が離れた、という理由は大きいです。特に性的に。繰り返しますが僕はクリスチャンです。女性を辱める様な性の在り方に甚だしい疑問と絶望感を年々感じる様になって来ています。

 

だから、世に溢れる(殊に日本国)メディアの影響を受けた様な性表現に吐き気をもよおします。潔癖だと言いたいのではありません。セックスはしますよ。

 

ただ、男が女性に、女が男性に対して行なっている、聖書的には恥ずべき行為からは隔絶していたいと思っています。

 

自分もめちゃくちゃでしたけど、変われたと信じています。捨てられました、数え切れないくらいの間違った性の在り方を。

 

僕はカミさんが大切です。

他の全てを犠牲にしても(犠牲である筈は無いのだが)僕はカミさんと同じ信仰を持つことを選択します。

 

孤独感はありませんよ、カミさんがいますから。そして、常にキリストが伴って下さいます。

 

45年近く生きてきて、分かったことがあります。教会にいてすら、そうでしたが、日本の性は悪魔的に狂っていると思います。

そして、それは麻痺を伴い、誰にもそうだと通じないのです。

 

 

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

ヨハネによる福音書‬ ‭1‬:‭5‬

学歴。

なんとなく、知ってはいなかったけど、そうだろうな、と思ってた。

 

僕は大学を中退したんだけど、「大学中退」って「学歴」じゃないよね。

 

だから、僕は「中卒」

 

最終学歴は中学卒業。

 

なんかスッとしたな。

 

意味がよくわからねえ、って人はきっと普通の路線で生きてきた人でしょう。

たぶんね。