こんにちわ。
今朝も5時に起きて、今日はマルベリーの収穫とポポーなどの植え付けをしてきました。予報によると昨日同様に暑くなるそうなので、皆さん体調管理にお気をつけください。
さて、マルベリーもいよいよ収穫できる実が無くなってきつつあります。あと1回、或いは2回というところですか、多分。今日は1キロくらいになりました。完熟した実はあるにはあるのですが、過熟のものが増えたり、サイズも小さいものが残ったりしています。もう残っているのはまだ真っ赤な未熟なものが少々、朽ちた実が少々、いずれも少しずつです。長い一週間でした。
今日はピッキングは僕の担当で、カミさんは熱心に草刈りをしていました。我々が実践しているのはいわゆる、自然農法というものです。福岡式とか川口式とか、オリジナルの方法は数えきれないくらいあるのですが、僕らが目指している最大の方向として、化成肥料の不使用と不耕起で野菜と果樹を作ること、当然農薬は使いません。
始めたころは悲惨でした。元の畑はガンガンに慣行農法で使われていた場所だったので、畝周りに草はなく、土壌の状態も農薬や除草剤、化成肥料を使うことが前提の畑でした。つまり、「やってみよう」と思い付いた年は残留肥料分があったのでよくできたのですが、翌年から何も育たなくなりました。
カブとか、ビーツとか、ニンジン、ピーマン、色んなものを植えましたが小さくて硬くて食えず、背が伸びず実はならず。
今6年目くらいになりますが、以下に変化した点を列挙します。
- 土が柔らかくなった。
- 土壌の露出面積が極端に減った。
- 以前とは種類の異なる草が生えるようになった。
- 土壌微生物が増えた。
上から順に説明します。
土が柔らかくなったのです。これはいわゆる根穴構造の誕生、だと思うのですが、草が生えます、刈ります、でも抜きません。これを数えきれないくらいの回数やってきました。そして、ムダに使わない場所は刈りもせず放置しました。色んなところで言われている様に、草も植物ですから根をはります。その根が土の中にメッシュネットのように広がって、土が柔らかくなったと思われます。後ほどもう一つと関連してくるので説明します。
土壌の露出面積が極端に減りました。不耕起栽培なので、耕運機やトラクターを使いません。すなわち草が生えたところを埋めたり戻したりしないわけです。すると表面には生い茂るように草が生えてきます。しかし、そのままでは使えないので地表に出てきている草の「頭」は刈ります。そうすることで先ほどの「根は残る」状態と地表の草丈を低くして少し三角ホーや鍬などで隙間を作ってやると種まきが出来ます。原則畝も立てません。僅かに表面をこそいで、そこに種まきをします。
生える草の種類が変わりました。以前はギシギシやセイタカアワダチソウ、何かのつる性植物や、いわゆるあまり歓迎できない植物で覆われるように畑全体が扱いにくい場所でした。ここ2年ほどでよく生えるのは、シロザ、アカザ、アメリカフウロなどのあまりよくない植物を除けば、スギナ、オオバコ、イヌムギ、後はイネ科のものが多くなりました。意図的にクローバーやレンゲ、チモシーを蒔いたこともありました。それらは大抵よく広がり、土壌にチッソを固定し、毎年生えてきます。土壌改良のために自分たちなりに調べてそれを実践しました。伸びてきたら、刈って緑肥だったり、草マルチに使います。
そして、最もよくわかる変化として、虫やミミズがどこを掘っても出てくるようになったことです。都会からここに来たカミさんは最初は気味悪がっていましたが、今では歓迎しているようです。言葉の通り、どこを掘ってもミミズが出てきて、どこを掘ってもモグラの穴があったりします。最初は根菜類の食害を防ぐために園芸棒とペットボトルでそれらを寄せ付けないようにしていましたが、かえってそれをしなくなったことによって最初の「土が柔らかくなる」ことへ繋がったと思います。彼らは単に土中を無意味に動き回るのではありません。食害もあります。ニンジンやダイコンなんて齧られてばっかりです。ですが、彼らは耕運機やトラクター以上の働きをするのです。根が張り巡らされた土中をモグラやミミズが移動することによってどんどん土中に「層」が出来ていきます。空気を含んだ言わばスポンジの様な土になるのです。これは、養分や水分を蓄えるのに大変有効な構造であるし、蒔いた種が発芽して根を張るのも容易になる。そして表面では刈った後の草でマルチングしてあるのだから、余計な草はあまり生えてこず、夕方、夜間、早朝になると結露が生じて雨が降らなくても水分が土に降りていくのです。
極めて重要なことを言えば、「モグラやミミズが生きていられる環境が戻った」、この一言に尽きます。除草剤、農薬、その他の小さな生き物や微生物にとって有害なものが消滅した(ある程度)ことです。これは「食の安心」とかそういったありふれた言葉で表現するのではなくて、原始的な農耕時代の方法に近づいていると言えるんじゃないかと僕は思っています。
草が根を張ることによって得られる恩恵は他にもある様です。ここからは見聞きした情報であって、理解もしていないし、よく分からない部分もあるのですが、おそらくそのことは起きていると思います。
土中の根同士にはネットワーク機能がある。菌と菌、あるいは微生物の交換を行う。適した草の近くに適した草が生える。分解や養分の生成が促されて進み、野菜が育ちやすくなる。
のだそうです。
実際、体感的に良くも悪くも土質が変わってきたと感じたのは2年ほど前からが顕著でした。まず、変わった野菜を何か一つ作ってみよう、そう思い立った我々はコールラビの栽培を始めてみました。芽が出て、途中までは順調な様に見えましたが、可食部位(本当はどこだって食べられるのですが)は成長する前に殆ど虫に食われてしまいました。結局コールラビを食べることはできませんでした。分かったことは、それほど虫が沢山いるんだ、という事と、駆虫しなければ育てられない野菜もあるんだ、という事が分かりました。
次行きます。ではズッキーニなんてどうだろう?、そう思って先ずポットで芽をある程度大きくしてから土に下ろしました。いつものように植える周辺の草を刈って、削るように地表を出して植えつけます。そうしてからその辺にほぼ無限にある枯草や葉っぱなどでマルチングします。ズッキーニは成長スピードも速く、どんどん採れる、というのが特徴だと思うのですが、我々の畑では異なる反応を起こしました。葉や茎が大きくなるのにとても時間がかかりました。なかなか実もなりません。「やはり何か肥料を加えないと野菜というのは難しいのか?」そう思っていたら秋手前になって毎日少しずつ、1本、2本、と収穫できるようになりました。その後は安定して家族で食べる分には困らない様になりました。
何が言いたかったのか、というと、「成長スピードは遅いが結実する」ということが言いたかったのです。むしろ、植物としての野菜は本来そんなものなのかもしれません。そこに化成肥料や農薬を使うという事は、過保護かつ無理やりに成長速度を加速させている、と言い換えることが出来るのかもしれません。
野菜は機械とは違います。部品を順番に組み立てると完成する、というものではありません。けれど、収量の安定化、確実に収穫するためには?、そんなことを人間は考え始めて今の慣行農法が生まれたのだな、というのを身をもって理解出来た様な気がします。
我々の畑はまだまだ本当の自然農法に遠いかもしれないし、もっと上手いやり方もあるかもしれない。YouTubeを見れば自然農法で多収穫な方もたくさんおられるので、それを真似すればいいのかもしれない。けど、食べることは今のところは二の次で、如何に原始的な農法がどんなものであったのか?、に興味が集中しています。出来たら出来たでうれしいです。食べますよ。けど、何百年もの間続けられてきた薬も合成肥料も無い、そんな時代を体験できていることが貴重だと思っています。
極論、草刈りをする前に種まきをして、それから草刈りをすれば勝手に刈った草が種を覆って、種から芽が出ます。時々生えてくる丈のある草を引っこ抜くだけで野菜はゆっくりとではありますが、大きくはないけど、育ってきます。
速度、効率、大量消費、そのための大量生産、それはもうサイクルです。現代社会に必要なサイクルなのは間違いないと思います。生活のほとんどの場所で、時で、自分たちもそのサイクルの中に生きている。野菜も足りなければ買います。でも、こうして畑と自然に付き合ってみると分かってくることはあります。
それがなんであるか?
言わなくても皆さんには通じているんじゃないかな、と思います。
だから自然を紹介したり、山を散策する番組が無くならないのは、そういうわけなのではないか?、と、思うんですよ。
組み立てられたものの中でだけ、生きるというのは、例えばAIと結婚するようなものだと、思ったりなんかもします。
それではまた明日。