奇天烈電機

猫とPCと農業つれづれ、(MS-)DOSネタ、稀に初級Linux。大半は日記。

聖体拝領。

こんにちわ。

 

今日は日曜だったので何カ月かぶりに教会へ行ってきました。教会へ行ってきました、という言い方は本来では少し違って、礼拝に集った、という言い方の方がいいのかなあ。

僕を合わせて家族のうち3人がキリスト教徒です。親父以外、と言えばもっと分かりやすいですね。キリスト教徒、という言い方はあまり好きではないので、3人はクリスチャンです。僕が受洗したのは16歳の時で、当時僕は高校留学なる状態にあって、海外で受洗しました。母親はその父親がクリスチャンだったので、彼女は自然と信仰を持った様ですが、僕は幼いころから教会へ連れて行ってもらったこともあまりなかったし、聖書を読めとか、祈れとか、イエスが何者とか、そういった話はあまりされませんでした。おそらく親父があまり「日本で言う」宗教によいイメージを持ってなかったからではないかな。

中学年くらいの時、小学校です。本屋でエジソンだとか、ベートーベンだとかの伝記の中にイエス・キリストのものがあって、どんな人なの知らなかったので買ってくれと親父にねだると、「お前には早い」と言って買ってもらえなかったのは、よく覚えています。祖父母に関しては、そもそもキリスト教というものを自らの仏教と同列に「宗教」として比較することすら無かったように思います。

最終学歴の話をすると、僕は大学中退で中卒、というよく分からない学歴の人間なのですが、要は高校を卒業しないで大学に入ったけれども、中退した、ということです。大学には大検(当時。現在の高認にあたる)で入りました。中卒と言っても中学へは半年くらいしか行ってませんが。

時代的にはフリースクールの流行りの頃の年頃だったので、もれずに中学へ行くことなくフリースクールに行ったり、家で近所の同じような不良(笑)と騒いだりしていました。フリースクールというところへいざ行ってみると、あんまり最初は居心地がよくなかったんですよ。何というか、自分だけガラが違う様な気がして。大人しい子たちが多かったので、悪いことが好きだった僕は結局一人しか(友人D)友達はできませんでした、フリースクールでは。結局彼とは30年、付き合いが続いているのだから、まあ、趣味とか気が合ったんでしょう。向こうからすると「恐ろしいから何も言えなかった」とか酷い言われ様ですけども。いや、今はちゃんと仲良くやっていますよ。何ならDと我々夫婦の3人で小一時間ドライブして隣県のラーメン屋に行くこともあるくらい。

 

話が脱線してしまいました。

 

一応、高校へは行ったのです。一年遅れての入学でしたが、一応。まあ、祖父の思いとか色々思案された結果と、自分が家にいても退屈だと思ったのが悪い具合に重なって全寮制の男子校というあまり愉快ではない環境に放り込まれました。あまり詳しく言いませんけど、厳しい学校でしたね。ちょっと異常だったかも。

結局半年で退学を食らうんですが、ここで母が登場します。

「今ならまだ海外の高校の入学式に間に合う!」

「何を言ってるんだ?、アルファベットもまともに読めないのに、海外へ行けというのか?」の様なかなり無理やりな圧がかかって、気が付くと13時間フライトのデルタ航空に乗っていました。とりあえずタバコが吸いたくて仕方が無かった、という記憶はしっかり残っていますね・・・

飛行機の中で筆記体を覚える努力をした記憶もあります。現地に着くと、在米日本人の青年がいて、どうやら僕を迎えに来たようでした。「ぜんりょうせい?、皆んないい人の学校だったのか?」と質問されたのも、またよく覚えています。

そこで、2年もはもたなかったですね。なんかテキトーに嘘をついて早々と自主退学して帰りました。でも、そこで受洗してるんですよね。何があったのでしょう。

まあ、そんなこんなでバプテスマを受けて帰国して、その後いろいろあったけど同じ価値観の人と出会って夫婦になって、今に至る、のですが、かなり端折っています。軽く20年くらい、今省きました。意図的に。

 

よいことだと思って続けているのですが、毎晩聖書とお祈りの時間を持つようにしています。夫婦で。

具体的に言うと、交互に聖書を読むのですが、一章ずつかな?、時々半分ずつ。最近は僕が歴代誌、カミさんがエレミヤ書、新約の方は3周目くらいで3回目の使徒です。こうやって延々ループしながら聖書を読んではお祈りをして、それから眠るのが習慣です。

しばらく前に、我々の通っている教会の牧師が昇天されたのです。それで、長らく信徒の方がメッセージをされていたのですが、無牧ですから、聖餐式がありません。数カ月に一度外部から牧師がやって来た時だけ、ご聖餐をいただく、という感じです。

今日は全くの偶然だったのです。しかし何カ月集わなかったかな・・・

到着して、週報を見ると牧師が来ていることが分かりました。カミさんは後ろ姿ですぐに気が付いたようですが、僕は最前席にいる人の後ろ頭を見て、「こんな人いたっけ」と思った程度です。信仰の深さが違う気がしますね、とても。

聖餐式、主の晩餐、色々言い方がありますが、ここは母の影響でしょうか、自分の中では「聖体拝領」という言い方がしっくり来ます。なんでもいいと思うんですが。

 

とりあえず、聖餐式のある日の礼拝は、当たり前ですが「長い」です。牧師がいたら、牧師にもよるけど説教があるのでより長く感じます。面白ければいいんですけど、面白くない牧師の説教は単に苦痛を伴うんです。今日は途中すこし抜ける時間があったので幾分か短く感じましたが、声の大きな熱心な牧師先生でした。

 

しかし、ウチの教会、ちょっと歌いすぎでは?

 

讃美歌を歌うわけです。教会で礼拝だから。でも、歌で始まって一つ違うことが終わると、再度歌。これが僕は物凄く苦手で、座って歌う、立って歌う、祈る、歌う、メッセージを聞く、歌う。

もう、「歌う、歌う、歌う」でヘトヘトになります。別に大きな声で全力で歌うわけではありません。ただ、あまりに何度もなんども歌うので。独身の頃が一番辛かったです。一人であまり行きたくない教会へ入って(なら何故いくのだ)歌いまくって帰るわけです。今はカミさんが歌っているのを気分よく聞いていられるようになったのでずいぶん感じ方は変わりましたが、それでも「歌いすぎだろ!」とツッこみたくなります。

 

礼拝の最後に聖餐式があるのです。なので、抜けるに抜けられないのです。報告とかが始まると即帰りますけど。今でも。原則お家で二人で守る小さな礼拝が好きです。個人的なお祈りもおおらかにできますしね。

 

なんだかクリスチャンでありながら全否定の方向に振ってますが、僕は僕なりに聖書を解釈しているし、復活も信じています。そうではない、という人もいます。人それぞれだけど、復活を信じてなくて、聖書を否定していたらクリスチャンではない、と、僕は思っています。

カミさんは熱心で、色んな聖句を覚えているし、「なるほどなあ」と思う話もたくさんしてくれて心強いですけど、自分はなんだかあまり感情の振れ幅が狭いのか、どうしても聖書を「読んで」しまうんですよね。あれは、単なる本ではないのですが。

 

少し巻き戻します。そういった経緯で家を出たのが16歳。それから27歳まで家に帰らず、29歳からさらに6,7年家を離れましたから、もう外の人ですよね、大体。

ここはとっても山の中にある集落なのでいわゆる田舎のおばさん方が多かったり、偏見と差別に満ち満ちていて・・・それが嫌で出たんですが、戻ってきてしまいました。

最終的に行くところが無くなった、という理由だけで帰って来たのですが、カミさんと出会ったのはその翌年でしたから、とっても感謝しています。家族も増えましたし。

 

「二人でなにしよう?」

と話し合って始めたのが、自然農法だったのです。最初はYouTube福岡正信という人の動画を見ていただけだったのですが、もう、見始めると終わらなくなって、見様見真似、実際には見ていないから、フリみたいな状態でスタートしたんです。

何が分かったかという話は先日も少し書いてますけど、今になって自然農法って名前や呼び方は色々ですが、流行ってきているようです。分かったことは、僕はハッキリと一つあります。当然、動画の中に色んな人が出てくるわけです。一人で頑張っている人、習っている人、教えている人、レベルが違いすぎる人など。

あんまり愉快な話にならないと思って、それでも書くのですけど、「習っている人」の動画を見るたびに、

 

「あ、この人すぐやめるだろうな」

 

っていうのがかなりの確率で分かるようになりました。今日もカミさんと違う話でそういった会話があったんですが、例えば、「座禅」とか「ヨガ」。どれくらいの人が本来の発祥した目的を知ってて実践しているのか?

「瞑想」と「ダイエット」、とかではありませんからね。多分。

それと同じです。自然農はカジュアルに始める(それで続くならいい)ものでは、あんまりないと思います。でも、いるんですよね、ノリで習いに来て、次の動画にはもういない人が、たくさん。

 

いまのとこ5,6年目ですが、なかなか、自然農法も信仰生活も、継続するのって難しいですよ。信念と愛情が必要だと、僕は思うのでした。

 

なんだか話が空中分解してしまいましたね。

 

 

それではまた明日。