こんばんは。
初めて買ってもらった(当然買える様な金額ではなかったし、僕は中学生だったので)PCはNECの9800シリーズ、PC-9821Ne2というノートパソコンでした。入学祝いだったな。
本当はデスクトップが欲しかったけど、何故か祖父はこのモデルを買って来た。確か、欲しい機械の名前を書け、と言われて「PC-9801BX」だったかな、コンプティークと言う雑誌の販売広告と一緒に見せたのだが。どう考えたってBXの二倍するはずなのに。
このNe2、とても扱うのが難しかった。FM音源がないから、音がビープ音のみ。当時としてはHDDは確か340MBで大きかったのだけど、そんな事は分からない。何せ初めてのパソコンだったので。
友達にはmsxを持っている奴はいたけど、98は田舎だったからか誰も持ってなかった。もう少し年齢の離れた年上の人たちは持っていたかもしれないけど接点が無かった。
最初はゲームを買うお金がないから、比較的ここら辺でも大きかった本屋に行って、ベーシックの本を買って来た。確かオーム社の本だったと思う。
で、何だか時計とか花火とか、簡単なゲームを書いてある通りに打ち込んだ覚えがある。これが、全くおもしろく無かったんです。
そうこうしていたら電撃王という本の広告で、ルナティックドーンというゲームを知った。今考えたら大げさな広告だったし、ゲームもびっくりするほど面白くはなかったけど、当時はバイブルマスターとどっちにしようかとても悩んだ。
偶然にもHDDがあるパソコンだったからインストール専用、という文句に従ってルナ丼にしたのだった。音無ルナ丼。
FMもPCMもワケワカランから、PCM音源のカードをやはり買って来て、結局音らしい音を聞いたのはWindows3.1の起動音だけだった。
あの時ほどがっくりしたのは無いくらい、落ち込んだ。ろくろく拡張カードなんてのも知らなかったから、FM音源のpcmciaがあるとかも知らなかったし、最後までNe2で音の鳴るゲームをする事は無かった。インターネットのない時代。
そうこうしていたら格ゲーブームがやって来て、いっときパソコンはあまり触らなくなった。ゲーセン通いだ。学校にも行かなくなった。
そうして95年頃になると、祖父が今度は自分のパソコンを買うからついてこい、という話になった。彼は考えていた。
インターネットの時代が来ると分かっている様だったし、今高性能でも直ぐに後続のもっといい機械がどんどん出るのがPCの世界。
だから、V16やV13ではなくて、V7を二人で買って帰った。V13を買うお金があるなら、V7に積むメモリを増やそう、という極めて冷静な思考の持ち主だった。
プリインストールモデルだったので、即Windows95を触ることが出来た。奮発してエプソンのちょっといいプリンターも数日後に届いた。これは主に祖父がつけた日記を印刷する事と、僕が初期のネットで発見した変な画像をプリントアウトすることに使われていた。
一太郎と123のモデルだったから、まだ僕には用無しの世界。ただ、詳しくは覚えていないけど、56kのモデムで繋がるTV以外の世界はとても魅力的に見えた。
98年になって、僕が一人暮らしをする時に、祖父はまたノートパソコンを買ってくれた。
新古品だったらしく、型落ちだったと思うけど9821Na7というノートで、今度は音の鳴るゲームを体験できた。
周りではプレステ2だとかドリキャスだとか言ってる頃、僕は博多のPC屋で中古の98のゲームばかり買っていた。英雄伝説とか、パワードールズなど。AVGも同級生シリーズだけはやった。まだWindows用のゲームはイースエターナルくらいしか面白いと感じるものが無かったし、Na7では動かなかったから。
このノートは後に親しくなった美容師の男に破格で譲ってしまったのだけど、後悔した。
他の趣味が楽しくなったというのもあるし、Macintoshにも夢中になった。まだ漢字トークがAppleのサイトから無料で手に入る様な時期だったから、テレホーダイを使ってそれをフロッピーにして、カッコつけて買ったSE/30に突っ込んだりした。
逆にモノクロで見るネットの世界に新鮮さと、もう一台始めたばかりのヤフオクで購入したPerforma588という68k Macをさわりまくって、PCはパワーアップ可能な機械だ、ということをムックなんかで知った。
それから、バイトをそれなりに頑張って今度はPC-9821V166、確か青札の中古品とK6-2のアクセラレーターのセットを買った。確か366MHzの代物だったと思う。(後々600MHzのアクセラレーターも出たことは知っていたけど、流石にそれを買うなら新しい何かを買うよ、というくらい高価だった記憶がある)それでまたバイトを頑張ってWindows2000を買ったのだった。手持ちのDOSゲーも出来て、W2Kが動く。
自分にとっては初めてUSB規格に触れた機械だった。ネットも楽しくなって来ていた頃だったと思う。エミュレーター文化が最盛期だったから…
そうこうしていたら、革命的なパソコンが現れた。と言うか、目の前で見た。店で。
ボンダイブルーのそれは、スペックこそ大したことが無かったけどそそられた。マウスがまんまるなのが面白かったけど、使いにくそうに見えた。
それから、遂にXPの登場に合わせていよいよ98とはオサラバか?、と思いきや、偶然通りがかった大阪のソフマップでスペック的には他のPCの半分くらいなのだけど、9821Nr300の良品中古を発見した。本当はXPのそんなに高くないノートを買う予算を準備していたけど、悩みに悩んだ末、再び98の沼に飛び込む事になった。中学の頃とは違うので、PCカードもその場で何点か買った。USBカードとLANカード(今はなきコレガのカードだったと思う)、メモリも128MBを積んでいたので、元箱に入ったほぼほぼ新品のそれを苦労して田舎まで持って帰ったのです。
そこからはしばらく長かった。本当に無理だな、と思うまでV166とNr300を使っていた。世の中XPで、クロックの数値やメモリの数値の桁が変わっても、しつこくW2KのPC-98を使い続けた。流石にDOSのゲームなんかはしなくなっていたけど、最低条件を遥かに下回る機械でWindowsのゲームなんかにもチャレンジした。
Nr300はその後、メモリだけ256に増やして、PCカード接続のDVDドライブなんかで映画を観たりした。ガクガクだったけど、行為が楽しかったのだと思います。
Windows7登場前夜まで、この2台でプライベートと仕事をした。引っ越しが重なって、Nr300はバッテリーも死んで、7が出るよ、というタイミングで遂に別れの時が来た。もう世の中にはPC-9800を実用している人もほとんどいなかったと思う。そのままNr300は長い休眠を箱の中で過ごす事になる。V166は後にフリマアプリで処分した。
次に買ったのは中古のMY29というNEC、Windows7のMateだった。もうみんながワイドスクリーンを使っているのに、お金がなくて4:3の、まさかのフロッピードライブ内蔵型で尚且つディスプレイ一体型のパソコンでした。PCカードスロットなんかがあったので、構造的にノートをデスクトップ化したような機械だった。多分、官公庁の払い下げか、余ったのをどこかのネットバイヤーが売っていたのだろうと思う。
この頃になると普段使いではメモリ以外不満を感じる事も無かったし、新しいOSが動いていたらネット接続に問題を感じることもなくなっていた。だから雑務とたまに見るDVDプレイヤーとしてだけ、またまたいろいろな場所へ持っていって一緒に過ごした。年代的には2020年手前まで使っていた筈。思えば、56kモデムからISDNを経てADSL、CATVなんかも使って、いま実家だけど光ケーブルだ。期間的にはNr300が光ケーブルだったときもあったんだな、と考えると不可思議な気持ちになる。現役だったから。
MY29は最終的にOSを10にしたけど、32bitだったので単にセキュリティの安全しか考えていなかったのと、新しいOSがタダで経験できる、という根拠だけで更新したと思う。
そうこうしているウチにバックライトが死んで、マトモに使えなくなった。これはヤマデンにお金を払って引き取ってもらった。
そこから、暫くはジャンク騒ぎで多数のゴミを買っては売り、買っては売り。ようやくx64になってSteamなどを意識し始めたから、グラボ沼に足を踏み入れた。ただ、ゴミの様な払い下げ品しか買えなかったので、グラボは常に無給電ばかりになって、最後にRTX 4000 SFF Adaを奇跡の中古価格(それでもアホ?っていうくらい高い)で手に入れて、「もう終わりにしよう」と思っていたのだけれど、同時にゲームに飽きてしまって、1650とかに鞍替えしてSFF売ろっかなー、なんて考え始めた。
それで、今も使ってる機械だけどDELLの7060 MTを格安で手に入れたので、Windows11に変わったのと、純正では無いけど倍容量の互換PSUが入手できたからグラボに給電できる様になった。たまに古い格ゲーくらいはするかも?、などと思ったので、6000円くらいで1060の廉価版を買って、SFFを売ったのです。
その後くらいからWindowsの広告ビジネス的な側面がすごく嫌になった。そもそも公式には第8世代以前のCPUを切り捨てている姿勢が嫌だった。
いい機会だったから、この際ちょっと憧れてたLinuxに乗り換えよう、と判断してその後はUbuntu使ってます。
決め手はedgeがLinux版、debパッケージを出してた事で、全ての移行に何にも困らなかったこと。仕事も、自分の趣味も。
けど、人間て欲深いので、電力足りるなら……とか考えるとまたいじりたくなってくる。
1060で十分なんだけど、ここで心の隙と金銭的余裕がほんのすこーし生まれてしまっていたのがいけなかった。
決断は一瞬。RTXよただいま。4060を乗せちゃったんです。
書いてないマシンも山ほどあったりするんだけど、殆どは刹那的な物だったから割愛してます。iMac G5やPowerBook 2400も使ったりはしましたけど、直ぐ売ってしまったし。
機械に対して今はあんまり興味が湧かない。新しい機械とか。AIに特化したCPUとか、そもそもあんまり理解してないと思う。NPUやらね。それもこれもUbuntu効果なのでしょうか。今は、プライベートも仕事も、何も問題を感じません。本当に直近で買ったものはたった一つ、トラックボールマウスだけ。
あ、いや、ディスプレイだけは大きなものに変えた。大きいと言っても32インチ。このディスプレイに全ての映像機器を接続させているので、やはりテレビや映画を二人で見る時、大きくないと淋しいじゃないですか。
平和が戻った。いや、平和でしたけど、湯水の如くPCにお金を注ぎ込む事はなくなった。つい最近になって、倉庫を探検したり、押し入れの整頓をしていて出てきた部品などを売って小銭を稼ぐのをはじめた。あのときのNr300は、買ったときの価格の倍になって売れた。もうドライバを手に入れるのも一苦労するような10MのPCカード、LANカードが信じられないような価格で売れる。何に使うんだろう?、と思うけど、必要な人には必要なんだろう。ジャンカーの名残でバカみたいに沢山グラボがあって、「予備、予備」などと思っていたものも売り払った。最悪壊れたらオンボードでいいかな。きっとそれまでにまた動きがあるだろうし。
振り返ってみると、NECにばかり世話になってきたんだなあ。NECをすごく信頼しているわけでは無いけど、意識はしていたかもしれない。
今となっては、懐かしいPC-98のDOSゲームはnp2。Steamも長いことお金を払って何かを買ってもないけど、たまに見つけるPortalのMODなんかで息抜きするくらいか。友人Dのお相手をするためだけにスト6とKOFは買ったか。
結婚する前までは本当にゲーム漬け、超肥満、昼夜逆転だったけど、今や朝の7時には遅くとも絶対に起きているし、食事も野菜中心の手作りごはんになった。日光も浴びてるし、あと足りないのはもうちょっと身体を動かすことか。
今回は、「パソコンって、魔力だ」というお話を自分のパソコン遍歴から書いてみました。
それではまた。